2 私のギター物語

ギターリストデビューの夢 
 
 自衛官・丸亀市国際交流協会・高松の損保という職を退いたあとは、自由の身で、サンデー毎日の贅沢な生活。かなりの時間を割いているのは、ギター演奏練習。慣れない曲は引っかかりつっかかりながら、家族には申し訳ないなあという後ろめたさを感じつつ、情熱を燃やしています。それでも、何百回となく弾いているうちに曲らしいものになり、緩急強弱の曲想をつける頃になると、これでどうだという気分になり、勇気もわいて参ります。

3ヶ月~4ヶ月に一回はクラブ内の発表会があり、一人づつ独奏曲を演奏します。人前で、演奏するのは、度胸のいることで、ステージに立つと、最初は上がってしまって、手が震えるは足が震えるはで、頭の中は真っ白になり、独りでに指が動いて、独りでに間違えて、どこを弾いているのかわからなくなってしまいます。この興奮は、不思議なもので、終わってみれば、ヤッターという達成感があり、もう一度やり直しをさせてくれればうまくいくのにという気持ちにさえなります。先生は、人前で弾くのはお金を出してでもやりなさいと言われます。経験を積みなさいということでしょう。4年生となった最近では、厚かましさも手伝って、かなり平常心で臨むことができるようになりました。

それではということで、各種の宴会や親戚・友人の集まりの時に、日頃の練習成果発表という演奏を試みましたが、「宴席には向かない」ということが判明しました。特に、アルコールが入って、がやがやとなってからでは、誰一人として耳を傾けてくれず、演奏しながら次第にコノヤローと腹が立ってきます。アルコールの入る前に演奏というのが鉄則だと思いました。

クラブでは、そのほか、福祉施設や病院の慰問演奏の機会があり、10人か20人ぐらいのグループで合奏に出かけます。合奏は、独奏と違って、高音部とか中音部とか、低音部とか、のパートを受け持つことになり、リズムを完全に合わせないと、全体の曲のぶちこわしになってしまいます。 

それでも、練習を重ねて、ぴったりうまくいったときは、何ともいえない充実感があります。特に、演奏終了の時、客席から拍手が起こったときは、一流の演奏家になったような気分になり、よーし、今度はもっとよく練習をしてうまくやるぞという気持ちが起こり、大変励みになります。合奏は、それなりに、迫力もあり、団体行動で楽しいものですが、練習のために集まるのも容易なことではなく、個人の技量や事情もあって、打ち合わせが大変です。そこで、これを一人で独奏曲慰問演奏をやれたらいいなあという気持ちが起こるようになりました。ドサマワリのスターという感覚ですが、やり甲斐があり、事前の調整がきわめて簡単、誰の指図も受けず、マイペースで人気の独り占め、という快感があって、将来を夢見ています。

すなわち、70才になるまでは、クラブ内でしっかり腕を磨いて、自分の独唱曲のレパートリーを増やし、演奏場所・客層に応じた曲目の組み合わせができるようになり、そのあとは、単独出演で語りを入れながら、ストーリーが構成できればと考えております。

これまで、曲目は、カルカッシ教則本を始め、クラシックを中心に練習してきましたが、考えてみると、この年で将来、一流クラシックプロになるわけでもないし、なれないし、一生懸命練習した曲も、クラシックを共にやっているものにはわかってもらい鑑賞してもらい評価を受けられますが、いわゆる一般の方々、特に高齢者や施設の子供などには馬の耳に念仏で、あくびや居眠りさえ出てきかねません。童謡やアニメ曲、映画音楽、懐メロや演歌などになると目を輝かせて、口ずさむ人もいます。費用対効果の面から、これからは、努力の方向をこのように聴いてもらえる演奏の方に振り向けたいと考えるようになりました。

そこでクラシックですが、クラシックギターは、発祥地スペインの大スター「イエペス」や「セゴビア」などの本格派のバッハやバロック曲など味わいの高いものがたくさんあり、愛好家に親しまれております。また、日本でも荘村清志や村治佳織など一流ギターリストの奏でる名曲がたくさんありますが、やはり、わかる者しかわからないという実情だと思います。

われわれはクラシックといえば、子供の頃、給食の時間になると聴いた「トロイメライ」や、「ユーモレスク」など、また、ピアノ練習曲の「エリーゼのために」や、「乙女の祈り」など、また新世界の「家路」とか、「白鳥」とか、この種の曲ならああ聞いたことがあるというイメージの親しみのあるセミクラシックということで、聴いてもらえそうな気がします。

ところが、楽譜ということになりますと、この種の曲をギター独奏用にアレンジした適度にやさしくて、適度に完全な譜面には乏しく、入手困難です。インターネットを頼りに、2~3見つけましたが、曲目と難易度がぴったりのものがなかなか見つかりませんで、見つかったもので妥協せざるを得ないという現状です。

今後とも、アンテナを張り巡らし、いい曲で、だれにでも聴いてもらえそうな、そして弾きやすい曲をたくさん見つけて、レパートリーを蓄え、誰にでも楽しんでもらえそうな曲を奏でて、ドサマワリデビューする日を心待ちにしています。

(続)ギターリストデビューの夢

 少年老いやすく学成りがたし
 一寸の光陰軽んずべからず

2年ほど前の淡交第22号で「ギターリストデビューの夢」と題して、ギター練習の現況と夢を書きました。その最後に、「誰にでも楽しんでもらえそうな曲を奏でて、ドサマワリデビューする日を心待ちにしています。」で結びました。

爾来2年が経過して、生涯学習ギター歴6年の年となり、今年の年末で70歳を迎え、小学生を卒業して、当初の人生計画どおり、何とか独り立ちする節目の年となりました。そこで、越年にあたり、意を決して「よし、ドサマワリを始めよう」と夢の実現を目ざし立ち上がりました。

もちろん、十分な準備ができたわけではありませんし、自信がついたわけでもありませんが、なにか、待ったなしの気持ちで、とにかく始めようとまず介護施設を回り、自作のパンフレットを携えて、ボランティア演奏を受け入れてくれる所を探してみました。どうして介護施設科と申しますと、以前、父親がお世話になっていた介護施設でその月の合同誕生会があり、感謝の気持ちで父兄代表で3曲ばかりギターの演奏をしたことがあり、えらく受けがよくて、自分ながら満足感を覚えたことがあったからでした。案外、行く先々で、快く申し出を受け入れてくれて、クリスマスシーズンからスタートして、1月の予定表がすぐ埋まりました。週に2回、月に8回を基準として巡回し、毎月一ヶ所一回順番に訪問するわけです。

もう約束してしまいましたから、後に引くことはできません。そのほか、コミュニティセンターや知り合いなどからお呼びがあり、自治会や、長寿会など特別出演もあり、もうパンフレット配布や御用聞きも不要となりました。瞬く間に月日が流れ、4月末までに38回の出番がありました。

童謡・唱歌など、季節の歌を交えて、事前に歌詞カードを作って配布して、歌声に合わせて演奏していると、こちらが負けそうになるぐらい楽しそうに歌ってくれます。1回にだいたい4曲で30分から40分の時間で構成して、場所によってはギター演奏のあとカラオケで全員合唱したりします。

ちなみに、これまでの選曲としては、12月クリスマスソング(きよしこの夜・ジングルベル)1月(お正月・一月一日・越天楽など)2月(早春賦・春よこい・うれしいひなまつりなど)3月(春が来た・宗谷岬・いい日旅立ちなど)でした。

四月の曲には、さくらさくらや春の小川やこいのぼりの歌などに加え、がんばれ東北の祈りをこめて、北上夜曲や青葉城恋歌など被災地の話や自衛隊の災害派遣の様子などの話のあとでカラオケでエールを送りました。特に北上川流域には甚大な被害の中、善通寺の自衛隊が派遣されて、自分たちは風呂にも入らず、テントの中で缶詰ばかり食べていることを話するとみんな真剣な顔で聞いています。北上夜曲と青葉城恋歌は、行く先々で歌いましたから、きっと東北の人たちにも声援が届いたものと思います。中には、帰り際に近づいてくるお年寄りがいて、うちの孫も自衛隊員で、東北に行っています。まだ帰っていません。と言ってくれました。

最初は冷や汗もので、ミスなく弾くことで精一杯で途中間違えたりすると前後不覚になりそうでしたが、回を増す毎に徐々に慣れてきて、演奏中にも聞いてくれている人の顔を見ることが出来るようになりました。そして演奏のあと、その人に話しかけるとぴったりと気持ちが通じます。演奏の前に歌詞を説明して、歌う気持ちにさせてから演奏合唱すればアンサンブルの成功です。

色々考えたアイデアの中で、ひとつの成功例ですが、今月の歌を始める前に得意曲をクイズ曲として演奏し、正解回答者に賞品を進呈というゲームを取り入れました。ゆめタウンの駄菓子屋さんで金メダル入りのチョコ菓子があり、これを賞品として進呈するとなかなかの受けようです。それからというものは、毎回、スタートの前からみなさんの眼差しが違います。

それではなぜ独奏の奉仕演奏としたかと言いますと、以前はグループでのコンサートや訪問演奏をよくやりましたが、これはなかなか準備が大変で、日程を決めるだけでも訪問先の希望や出席者の都合や訪問スケジュールなど調整に調整を重ねてやっと決定、演奏曲を決めるにもまたみんなの好みやレパートリーがあり調整に調整を重ねてやっと決定、練習も参加者の都合これあり、なかなかまとまりません。その点、独奏独演では、自分の好きな日に設定して、演奏曲も自分の好きなように編成し、練習も自分の好きなときに好きなところで好きなだけ出来ます。プレッシャーはありますがすべて自由自在で進行という大きな利点があります。

これから80歳(活動限界に設定)までの10年をライフワークの目標としています。人生最後のご奉公というわけです。だいたい諸先輩方を拝見していますと、80歳を過ぎれば車の運転やスポーツや人の集まりから遠ざかっているようです。頭の働きや体の働きが自然に衰退して社会生活に追随できなくなるようです。それまでが本当の悠々自適なのでしょうか。私としては、このギター奉仕演奏と、これまで3年間継続中の熟年英語会話教室の運営と、写真(美楽留ショット季節の写真展ブログ)の3本立てで何とかこれからの最後の10年を乗り切って行こうと考えています。自分を忙しさの中に追い込み、夜寝るとき(朝目覚めたとき)に、明日(今日)はあれとこれと・・・をやらなきゃあと思うように仕向け、夜寝る前に日誌をつけるとき、昨年の欄と比較しながら充実感を味わいつつ目をつぶれば幸せというものでしょう。まさに一刻千金、「一生青春」最終章の始まりです。

正確に言えば、今年の12月で満70歳ですから、それまでは助走段階でリハーサルのつもりで、試行錯誤を重ねながら、成算を見いだし、本番10年に臨みたいと思っています。
冒頭に上げた成句「少年老いやすく学成りがたし、一寸の光陰軽んずべからず」これは老いた少年の戯言かも知れませんね。